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大化改新の方程式(83) 

古人皇子は逃がされていた?
「乙巳のクーデターが綿密に計画され、実行された」という前提にたった場合生じる2つの疑問のうち、「入鹿だけでなく蝦夷も同時にターゲットにしたクーデターが立案されたのではなかったか」については、これまで高向国押の役割に絡めて検証してきた。

今回は、もう1つの疑問、「どうして古人皇子は入鹿殺害現場から自邸まで逃げ帰ることができたのか」について考えてみよう。

これについてはあまり深く考える必要はないとの意見もあるだろう。
たしかに、佐伯子麻呂ら刺客たちが緊張のあまり入鹿襲撃に手間取り、その隙に古人皇子が脱出できたという解釈が成り立つ。たとえば、入鹿に最初の一刀を浴びせた中大兄の本来の役割は子麻呂たちが蘇我父子(想定では蝦夷も臨席)を襲っている間に古人皇子の自由を奪うことだったのかもしれない。
実際のところ日本書紀が入鹿の殺害シーンをどこまで忠実に再現しているかは検証の仕様がないのでなんとでも言いようがある。

とはいえ、これまで述べてきたように高向国押がクーデター派の一味だったということを認めると、1つだけ確かなことがある。
それは、「だれも門の外にだしてはならない」という指示が国押に出されていたはずであるから、その目を盗んで古人皇子が王宮外に脱出するのはほぼ不可能ということだ。

とすれば、クーデター派のなかに古人皇子を逃がした人間がいたとみるほうが自然だろう。
その人物とは、現場にいたクーデター派の面子をみるかぎり、蘇我倉山田石川麻呂以外にない。

もちろん私は、彼がクーデター派を欺いて古人皇子を逃がしたと言うつもりはない。
古人皇子の排除は当然ながらクーデター計画の目的の1つであったが、古人を無傷で王宮の外に連れ出してその身柄を確保するよう主張し、そして当日実際に古人の脱出を手引きしたのは、石川麻呂だったというのが私の推論だ。

ここでクーデター派にとっての古人皇子の想定される処遇とその優先度を考えてみたい。

まず軽皇子にとっては、宝皇女から譲位を受けることができればよいので、古人皇子の生死はあまり関係ない。大事なのは軽皇子たちが宝皇女に譲位を迫る際、目の前に古人皇子がいないことだ。
すでに古人皇子への譲位が日程に上った段階であったから、“寵臣”入鹿が除かれた後といえども、頑なになった宝皇女が古人皇子への譲位を主張する危険性は大いにある。

逆に中大兄にとっては、本来自分が皇太子として侍しているべき場所にいる古人皇子の排除こそが一番の目的であり、自分ではなく古人皇子を選んだ憎き蘇我入鹿もろとも葬ってしまいたいぐらいに考えていたであろう。

一方、「入鹿によって横取りされた蘇我氏の族長の座と大臣の地位を奪い返すこと」(『大化改新と蘇我氏』遠山美都男 p.174)がクーデター派への参加動機だった石川麻呂は、蘇我父子ともども古人皇子を亡き者にするのは阻止すべきと考えていたのではないだろうか。

これについてはさらに突っ込んだ検証が必要だろう。


<追記>
石川麻呂に手引きされたとはいえ、古人皇子をそのまま自邸に帰してしまうことはあまりに危険ではないかという疑問が出てくるかもしれない。
たしかに遠山美都男が『大化改新』 でいうように、「古人大兄が、東国に脱出するのではなく、自己の財産を統括するセンターでもあった大市の宮を拠点にクーデター派への反撃に転じたならば、クーデター派にとってまさに予断を許さない状況が発生していた」(p.237)。
しかしながら、これは蘇我蝦夷が自邸(私は甘樫丘の上ではなく、豊浦か「エベス谷」と呼ばれる丘の麓だと考えている)で健在であることが前提の話だ。
蘇我蝦夷と入鹿を同時に宮中で仕留めるというのがクーデター派のシナリオであってみれば、蘇我父子が殺害された後に、東漢直らが直接古人皇子を戴いてカウンタークーデターを起こす可能性は低いと軽皇子たちは考えていたのではないだろうか。
それに、石川麻呂の手引きで自邸に戻った古人皇子は、身の安全と引き換えに軟禁状態に置かれたと考えるのが妥当だ。自邸に戻った古人がとった行動、すなわち日本書紀にいう「臥内(ねやのうち)に入り、門を杜(とざ)して出でず」とはまさに彼が軟禁されたことを物語っているのではないだろうか。

コメント

黒幕

石川麻呂はそうやって古人皇子に「恩を売る」ことによって、軽皇子即位後の抵抗勢力になってもらい、自らの地位のさらなる向上を目論んでいたのかもしれませんね。
軽皇子即位後すぐに古人皇子が抹殺されたのも、そうした石川麻呂の思惑を阻もうとした軽皇子らの反撃だったとも考えられますし、石川麻呂が「古い冠をかぶって出仕した」のも、そういったことに対する抗議の意味だったともとれます。
そう考えれば、石川麻呂。
黒い。黒すぎる。本当の黒幕は、案外彼なのかも。
「一番おいしいところをもっていこうとした」からこそ、無残な最期が待っていたのかもしれません。

Re: 黒幕

毎度コメントありがとうございます。
私は石川麻呂が持統天皇や元明天皇のお祖父さんでなかったなら、日本書紀ではもっと悪く描かれていただろうと思っています。
いずれ書く予定ですが、後の石川麻呂の乱は、その処刑者の多さと処刑の過酷さを考えると、日本書紀が描くように冤罪ではなく、かなり具体化された謀反計画が裏ですすんでいたのだろうというのが私の推論です。

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