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NHKスペシャル『死ぬとき心はどうなるのか』を視て

本日、NHKスペシャル『死ぬとき心はどうなるのか』を視た。
そして、以前ふと思ったことを思い出したので、これを機に書き留めておこうと思った。
(私が「ふと思った」というときは、だいたいが眉唾ものだが・・・)

番組の内容は、臨死体験にどこまで科学的にアプローチできるかというテーマを立花隆の思索の旅をとおして展開するというものだ。
私は、脳科学がいずれ哲学や宗教における様々な問いかけの多くに解を与えてくれるものと思っているので、今回のNHKスペシャルのようなテーマには以前からとても興味があった。

番組の結論は「脳は死に臨んで特別な働きをする。それによってもたらされるものをどう捉えるかは人それぞれ」というわかったようなわからないようなものだったが、番組で扱っていた臨死体験が体外離脱をメインとしていたものだったのがちょっと不満だった。

私が一番興味がある臨死体験は、過去の記憶が走馬灯のように溢れ出すというものだ。

この体験は臨死ではなくても、寝ながらベッドから落ちたときにも体験できる代物だが、これを脳の機能として考えると、おもしろいことがいえる。(断わっておくが、以下の話は私の古代史をテーマとした『大化改新の方程式』のようにいろいろな関連本を読んだうえでの話ではない。言葉の真の意味での、私の脳による“思考実験”としてお聞きいただきたい)

今日の番組で言っていた「脳が死に臨んでする特別な働き」というのは、私流に解釈すると以下のように2つの機能といえる。

<1>脳は「もう終わりだ」というトリガーが発せられた瞬間、すべての外界からの刺激と脳中枢との連絡を遮断する。すなわち外界からの刺激は記録はされるが、脳はその刺激に対して「いい」「悪い」「痛い」「怖い」「美しい」などといったフィードバックを返さない。

<2>外界からの刺激というコントロールを失うことによって脳内にある記憶がすべて解放される。いわば長い夢を見始めるわけだが、フィードバックがないので通常の夢とは異なる。


そして、幸運にも生き返ることができた人は、解放された記憶の記録を後から解釈して語るわけだ。
ビルから飛び降りて自殺をはかった人間はまさに走馬灯のように溢れ出した過去の記憶を語り、ベッドで亡くなりかけた人間は「お前実は死んでたんだよ」という周りの人の話をもとに、臨死中の外界からの記録を再構成して語り始める。

番組の中には生後2か月での臨死体験を2歳になって語った少年がいた。親は彼が死にかけたということを本人には知らせていなかったというが、実際にはどこかで話しているのを断片的に聞いて無意識のうちに脳がストーリーを構成したと考えられる。

また、臨死時にきれいな花畑で光に包まれたという共通した体験があるのは、そういう話を以前聞かされていたがために、蘇生後に脳が勝手に類似のストーリーをつくりあげたものであろう。

ただ、私が興味があるのは、蘇生後に解釈される話の部分ではなく、上記の2つの機能そのものの部分だ。

もしこれが本当なら、次のように言うことができる。

われわれは、もうだめだと脳が判断した瞬間、刺激が遮断されるのだから痛みや苦しみを感じない。
そして、膨大な過去の記録が瞬間的に脳内をかけめぐるが、数秒といえども、脳の中では何十年にも相当する長い旅の反復だ。これについては、なにもベッドから落ちなくても、短い時間にずいぶんと長い夢を見た経験がある人なら納得いくだろう。
ただ、臨死時のそれは夢のようであって夢ではない。脳のなかで展開される情景に対して脳はなんのフィードバックも返さないからだ。かつて見た素敵な光景があらわれても「美しい」と返す脳の働きはない。

「死後の世界」とは、痛みや苦しみからも、そしていかなる感慨からも解放された過去の情景のなかにあるのだ。

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