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大化改新の方程式(93) 

三輪逆討滅事件
今回は、前回触れた穴穂部皇子騒動のメインイベントである三輪逆討滅事件について考えてみよう。

用明天皇即位に異を唱えたものの、前大王の寵臣・三輪逆の支持獲得に失敗した穴穂部皇子は、用明即位後いったん矛先を収めたものと思われる。
そして、半年以上もたってから、あらためて前大后・額田部皇女がいる殯宮を訪れているが、日本書紀ではその意図を「額田部皇女を奸すため」としている。

ただ、穴穂部皇子がポスト用明を見越して(その場合でも竹田皇子がなお成人前であること、現「大兄」彦人皇子が王位につく資格を何らかのかたちで失うことが条件だが)、「大兄」として朝政参加を認められることを期待していたとすれば、殯宮にいる前大后を奸すというのはあまりにリスキーな行為であろう。
事実この翌年、病床の用明が仏教徒になる意向を表明したことを受け、穴穂部皇子がいち早く法師を連れて参内しているが、王位への執着を捨てきれない穴穂部皇子の計算ずくの思惑がそこにみてとれよう。
殯宮の額田部皇女を訪れたのも、おそらく何らかの交渉材料をもって、「大兄」としての朝政参加を認めるよう大王への説得を依頼するつもりだったのではないだろうか。

ところが、それを阻んだのがまたしても三輪逆だった。
しかも、これまでさんざん斎王を奸した過去をもちだして用明即位に難癖をつけていたことがここにおいて裏目にでた。
すなわち「穴穂部皇子は自分の主張が省みられない腹いせに額田部皇女を奸しにいった」という尾ひれまでついってしまったのだ。
2度までもコケにされ、しかもあらぬ噂をたてられた穴穂部皇子にしてみれば、三輪逆を討つだけの理由は十分だったといえよう。

三輪逆討滅事件では、三輪逆を討つという名目で用明の王宮を囲んだことから、穴穂部皇子は当初より大王の座を実力で奪おうとしたという解釈がみられるが(以前の私もそう考えたが)、これについては疑問である。
というのも、先に触れたように三輪逆討滅の翌年、仏法に帰依したいという大王の朝議に顔を出しているからだ。しかも、あの事件において用明の王宮を囲む実働部隊を指揮した物部守屋でさえこれまでどおり大連として朝議に参列している。
日本書紀が記すように、王宮や大后の宮を転々とする三輪逆を追い詰めることを目的としていたというのが三輪逆討滅事件の真相であろう。

また、日本書紀をみるかきり、蘇我馬子は三輪逆殺害を黙認しているし、用明天皇や額田部皇女にしても三輪逆を積極的に匿った形跡はない。
彼らには、目の上のたんこぶである三輪逆を葬り去るよいチャンスだったにちがいない。
さらに、蘇我馬子にとっては、これによって排仏派(物部・三輪・中臣)の一角を崩すだけでなく、三輪逆殺しの罪を物部守屋に着せることができるわけだ。いずれ守屋と対峙する際に、前大王の寵臣殺しの事実は、ほかの群臣を味方につける大義名分になる。まさに一石三鳥といえよう。

ところで、この事件の際、蘇我馬子が三輪逆殺しに直接手を下さないよう穴穂部皇子を説得しているのが興味深い。
穴穂部皇子に対する叔父としての情というよりは、物部守屋を孤立させるための離反工作とみたほうがよいだろう。
逆にいえば、それだけ穴穂部皇子には人望があったともいえる。だからこそ、この後、物部守屋が穴穂部皇子と結んで軍を興すという情報がはいるや、先手を打って穴穂部皇子暗殺を命じたのである。

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