FC2ブログ

大化改新の方程式(99) 

「丁未の役」論点メモ
これまで数回にわたり、「丁未の役(ていびのえき)」勃発までの状況を用明天皇(池辺皇子)と穴穂部皇子を中心にみてきた。
古人大兄皇子の話から敏達期にまで遡ったのは「大兄」についての自分の考えをまとめることが主眼で、もともと丁未の役そのものには深入りする予定はなかった。
前回肝心の「大兄」論を再考すべきテーマとして棚上げにしたため、いささか消化不良気味ではあるが、このあたりで乙巳の変に戻ることにしたい。

実は、丁未の役に深入りするつもりがなかったのは、いくつかの論点に自分なりの解がでていないという事情もあった。
いずれ論じるときのために、ここにメモとして残しておこう。

丁未の役に崇仏排仏の対立がどのくらい影響していたのか?
篠川賢によれば、いわゆる「崇仏論争」存在そのものが疑わしいとするのが「今日では一般的な見方」(『飛鳥と古代国家』 p.39)とのことだ。そこでは蘇我・物部戦争の本質は両者の主導権争いにつきることになっている。
また、遠山美都男のように「仏法受容の可否」をめぐる対立はなかったとしつつも、「仏法受容の在り方」に対して物部氏や中臣氏が反発したという経緯を見出す説(『大化改新と蘇我氏』 p.83)もある。遠山によれば、“仏”という「蕃神」の祭祀が、古来神事を司ってきた物部氏や中臣氏を差し置いて蘇我氏に“委託”されたことが、彼らの蘇我氏への敵愾心を煽ったとする。すなわち蘇我・物部の主導権争いは、この“委託”によって渡来人集団を指揮・管轄下におくアドバンテージをめぐる確執ともとらえることができるわけだ。
篠川説、遠山説いずれをとるにしても、物部氏や中臣氏の排仏的なスタンスは後世の脚色ということになる。
ただ、私には用明天皇が発病後とはいえ三宝に帰依する意向を示したことに注目したい。つまり「仏教を公認する」を通り越して、「私は仏教徒になりたい」と言っているわけで、物部氏や中臣氏のみならず群臣に与えたインパクトはどの程度のものであったのだろうか。全く摩擦なく受けとめられたとは到底思えないのだ。
私が、押坂彦人大兄皇子を排仏派とみなして議論をすすめたのは、王家サイドにもいたはずの排仏派の中核的存在が彼をおいて他にないという仮説に基づく。

蘇我馬子は欽明以降の近親婚をもとにした王位継承ルールに対してどういうスタンスだったのか?
この疑問は、蘇我馬子・蝦夷は「近親婚をもとにした王位継承ルール」に忠実で、蘇我腹に執着しなかったという自説に対する投げかけである。
通説どおり、敏達没後から推古擁立に至る政争や舒明推戴の背景に蘇我腹に執着する蘇我氏の意向をみる考えにたてば、あえて疑問にする必要のない論点だが、とりあえずここに記しておく。

丁未の役の間、息長氏は何をしていたのか?
私は、中臣勝海暗殺後、押坂彦人大兄皇子が幽閉されることで、物部守屋は彼との連携が不可能となったという考えだが、その間、押坂王家の後ろ盾だった息長氏は何をしていたのか、という疑問が残る。
息長氏はもともと蘇我氏と争うことに積極的ではなかったという見方もできるかもしれない。早々に彦人皇子が蘇我氏の軍門に降ったのもそのためだが、最後まで抵抗した物部氏と異なり、押坂王家の広大な所領地を温存できたという点においては賢い選択だったといえよう。
また、推古朝において蘇我馬子の側近として活躍した中臣宮地連鳥麿呂や小徳(冠位十二階の第2位)の地位にあって新羅遠征軍の将軍に任じられた中臣国(中臣鎌足の叔父)をみると、丁未の役後一時的にしろ中臣氏が完全に没落したというイメージはない。
その意味では、蘇我馬子にとっての丁未の役の目的は、物部氏の壊滅そのものであったというべきかもしれない。

桜井皇子は物部氏側だったのか?
桜井皇子といえば、用明天皇・推古天皇の同母弟だが、どうやら彼は物部守屋側にたっていた可能性がある。
日本書紀によれば、丁未の役後、数百の兵士の死体のなかに桜井皇子の家来と思われる桜井田部連膽渟(いぬ)があったという。
もし桜井皇子が蘇我氏側であれば、味方する皇子たちの名をあげた記事にその名を記載したはずだ。それがないのであるから、桜井田部連膽渟は惨殺された物部氏側の兵士のなかにあったということになる。
さらに興味深いことに、桜井皇子の娘・吉備姫王は押坂王家の一員である茅渟王(ちぬのおおきみ)に嫁ぎ、宝皇女(皇極=斉明天皇)・軽皇子(孝徳天皇)を産んでいる。
宝皇女らに流れていた血は蘇我氏といえども異端のものだったようだ。
いずれにしても、なぜ桜井皇子は物部氏に味方したのか?
用明・推古からはかなり年が離れた弟だったようだが、兄姉のような崇仏思想になじめなかったのかもしれない。
そして、もしそれが真実であるならば、物部守屋は押坂彦人大兄皇子、穴穂部皇子以外にも、王位継承争いにからむ切り札を最後までもっていたことになる。

大伴氏は蘇我氏主導の物部討滅軍にどのように関わったか?
かなり以前の記事になるが、「崇峻天皇暗殺の真相」という記事(大化改新の方程式(39))において私は、『飛鳥と古代国家』での篠川の記述を引用して、丁未の役には「物部氏に対する大伴氏の反発といった要素」(p.88)があるとした。
また、軍事氏族である大伴氏が蘇我氏主導の物部討滅軍に与するにあたっての条件として、崇峻擁立の密約があったとみることもできよう。
崇峻天皇が大伴氏の娘を妃とした唯一の大王であることを考えると、大伴氏が崇峻に寄せる期待には 並々ならぬものがあったであろう。「崇峻天皇暗殺の真相」という記事で書いたように、その事件の背後に大伴氏と蘇我氏との確執があったという見方も否定できない。
丁未の役前後の政争を大伴氏の視点がみてみるのも面白いかもしれない。

コメント

大変勉強になりました

れんしさま

丁未の役についての一連の考察、大変興味深く拝見しました。
いつものことながら、れんしさんの知識の量には圧倒されます。
「人間データベース」とお呼びしましょう。
これからもどうかいろいろご教示下さいませ。

れんしさんですら棚上げせざるを得なかった論点に、私ごときが口をはさむことなどできっこありませんので、今回は「賑やかし」に桜井皇子について一言だけ。

ご存じの通り桜井皇子は、欽明が堅塩媛に生ませた13人(!)の子どもたちのうち10番目の子です。
用明は長男、推古は4番目に生まれていますので、れんしさんのおっしゃる通り桜井皇子は彼らとはかなり年齢が離れていたと思われます。
それでも、堅塩媛が40まで子を生み続けたとして、用明を生んだのが16歳だったと仮定すると、弟妹が3人いる桜井皇子は遅くとも彼女が35歳くらいまでには生まれていたはずで、用明との年齢差は15~20歳ということになるでしょう。
とすれば、用明は41歳で没していますから、丁未の役の年、桜井皇子は20代前半の、まさに若武者だったと申せましょう。
しかしながら、大王になるには経験がものをいったあの時代、その年齢は大王になるには若すぎたのかもしれません。
物部守屋はあくまでも、経験豊富な押坂彦人大兄皇子や穴穂部皇子らの即位に期待していたのではないでしょうか。
とはいえ、守屋の側についた桜井皇子に対し、ある程度の制裁が加えられたことは充分考えられます。
彼の娘が、押坂彦人大兄皇子の子である茅渟王にしか嫁げなかったのも、当然といえば当然のことだったのかもしれません。
従って、二人の間に生まれた宝姫王と軽王には、蘇我系とはいっても蘇我に対し多少とはいえ鬱屈した思いがあったはずで、それがのちの乙巳の変の変につながっていったと考えられなくもありません。
(また私の本の読者から「歴史を自分に都合よく解釈している」とお叱りを受けそうですが。ま、こういう解釈もできなくはない、ということです)

というように、「れんしデータ」に私の本に都合よく解釈できそうな部分を発見したので嬉しくなってコメント差し上げました。

それにしても、息長氏は押坂王家の後ろ盾だったんですね。
それも知りませんでした。勉強になりました。
であるならば息長氏の動向は、その後の流れに影響を及ぼした可能性が大きいと思われます。
いやはや、古代史は知れば知るほど奥深く、そして謎もまた深まっていくものですね。

次回は100回ですね!
ますます期待してます。

Re: 大変勉強になりました

梅前さま
毎度コメントありがとうございます。

「息長氏が押坂王家の後ろ盾」と書きましたが、実は息長氏は謎の多い氏族で、確たる証拠があるわけではありません。
以下のような、いわば状況証拠に基づき、息長氏と押坂王家とのつながりを推測しているわけです。

・押坂彦人大兄皇子の母・広姫の出自は息長氏。
・押坂王家の家政機関である刑部は、允恭天皇の皇后にして安康天皇・雄略天皇の母である忍坂大中姫のために設定された名代だが、忍坂大中姫は息長氏の始祖とされる意富富杼王(おおほどのおおきみ)の同母妹。
・さらに、その忍坂大中姫の同母妹である衣通姫は同じく允恭天皇の妃で(古事記では允恭天皇の皇女として全く異なるストーリーがある)、茅渟宮に住んだとされるが、この宮が1世紀の後に、田村皇子の異母兄(?)である茅渟王に継承されたと推測できる。
・舒明天皇の和風諡号が「息長足日広額」となっている。
・舒明天皇の葬儀のときに息長山田公が誄(しのびごと)をしている。

ただ、たとえ息長氏と押坂王家とのつながりが実証できたとしても、強い政治力をもっていたかどうかはまた別の話である。
私の場合は、蘇我本宗家や上宮王家に匹敵する「押坂王家」なるものが存在していたのが事実であるなら、それを支える豪族もまたいたはずであり、それが息長氏だったであろう、ということです。

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)