FC2ブログ

大化改新の方程式(114) 「上宮の王等の威名ありて」の意味

「女帝不可」というスローガンは、「近親婚による20歳以上の男子が王位を継ぐ基本ルール」の例外措置である「中継ぎ大王」として即位した皇極天皇を譲位させるための大義名分としては有効だったが、それだけでは山背皇子に力を与えることはなかっただろう。

というのも、「男帝」ということであれば、古人皇子も同じく皇極譲位後の大王候補たりえるからだ。
そして、もし皇極が根負けして譲位するとすれば、山背皇子ではなく寵臣・入鹿に近い古人皇子を指名するのは確実であったろう。

そう考えると、ここにきて山背皇子および上宮王家をクローズアップさせる事態が出来したとみるのが自然なのではないだろうか。

実は、日本書紀の分注にそのヒントがある。
上宮王家を排除する蘇我入鹿の目的は古人皇子を大王にすることだとする記述の後に、編集者の解釈として次のように書き加えられている。
蘇我臣入鹿、深く上宮の王等の威(いきおい)名ありて、天下に振(ましま)すことを忌(にく)みて、独り僭立せむことを謀る
この分注は、古人皇子を大王にするどころか入鹿自らが王位簒奪を目論んでいるとしている点で明らかに後世の脚色が施されているわけだが、ここで注目したいのは「上宮王家の威名があがったこと」に言及していることだ。
つまり後世の視点から見ても、山背と古人との間の王位継承順位という問題以上に、「上宮王家を討つべき」積極的理由がそこにあった、あるいは、あったと考えなければ説明がつかない状況だったということを物語っている。

では、“上宮王家の威名があがった”状況とは何か?

前回触れたように、斑鳩急襲に先立つ10月3日の記事にある“国司”の改任をめぐる対立がそれを解く鍵といえよう。

これについてはやはりかなり以前の記事「皇極2年冬10月3日に何があったか」(『偽りの大化改新』を読む(15))で私の考えを展開している。
唐の太宗から新羅の使者への回答にあった「婦人の王は隣国に軽侮される」という発言が10月3日の時点で倭国にもたらされたとする部分については前回の記事で修正を加えたことになるが、基本的な解釈は今も変わらない。

ここでの国司をめぐる対立は、皇極天皇と蘇我本宗家との軋轢が顕在化したという捉え方が通説のようだが、私は、舒明天皇の代から続いた大王家(皇極天皇)およびそれを支える蘇我本宗家と上宮王家との確執がクライマックスを迎えた局面として捉えたい。

その発端となったのが前年(642年)、日本書紀が記す蘇我父子が生前に2人の墓(双墓)を造営したことに対して上宮大郎姫王(山背皇子の妻・春米女王)が抗議したことだ。
双墓の造営に多くの部曲(豪族の私有民)を動員し、そのあげくに上宮王家の壬生部(もともとは皇太子であった厩戸皇子に授けられた部民)にも手をつけたことがクレームの対象となったということだが、その蘇我蝦夷・入鹿の双墓に比定される可能性が高い五条野宮ケ原1・2号墳をみるに、人民を大動員するほどの規模ではない。

実際に蘇我父子が自らの墓をこのとき造営したかどうかはわからないが、そうであったとしても、もっと大きな公共事業が進行中でそのために多くの部曲が飛鳥周辺に集められたと考えるべきではないだろうか。

以前にも述べたことだが、ここでのキーワードこそが、宝姫王の“興事好き”なのである。
これは日本書紀においては、斉明天皇として重祚してから登場するワードであるが、私は皇極期から彼女の“興事好き”は発揮されたと考えている。

彼女の“興事好き”に部民を駆り出された豪族たちの不満の結集点となったが、同じく壬生部を勝手に使役された上宮王家だったのではないだろうか。
皇極の寵臣・入鹿に近い古人皇子ではなく、「女帝不可」で理論武装した山背皇子率いる上宮王家がここにきて急速に威名をあげてきたのである。

コメント

タカラ困っちゃう

皇極期の「興事」というと、書紀には「大寺・大宮の造営」、「吉備姫王の陵墓建造」しか見当たりませんが、それで「興事好き」と言われても、タカラ、困っちゃう。
あと、五条野宮ケ原1・2号墳ってどこでっしゃろ?

Re: タカラ困っちゃう

梅前様
毎度ありがとうございます。

皇極期の「興事」については、まさに次回のテーマということで・・・

> あと、五条野宮ケ原1・2号墳ってどこでっしゃろ?

見瀬丸山古墳で有名な五条野古墳群の一角で、甘樫丘の南西に位置する古墳です。
もちろん、蘇我父子の墓についてはいろいろな説があって、この宮ケ原1・2号墳が最有力というわけではありません。

なお、この古墳だけでなく蘇我父子の墓については、(無断のリンクで申し訳ないですが)ドン・パンチョ氏のサイトの「橿原日記」の平成27年1月28日の記事「蘇我本宗家の蝦夷と入鹿の墓はいずこにありや?」に詳しいです。
http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/index.htm

※パンチョ氏のサイトは現地の取材にもとづいた記事が素晴らしいです。ときに専門家の意見に鋭いメスをいれながらも、決してトンデモ説に走ることはなく、理路整然とした展開はうらやましいほどです。

ありがとうございました

れんしさま

さまざまご教示ありがとうございました。
ドン・パンチョ氏のサイトにも行ってみました。
宮ケ原1・2号墳について詳しく書かれていて勉強になりました。
宅地になってしまっているんですね……。
なんだか寂しいです。
あの権力者たちの墓なのに。

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)