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大化改新の方程式(122) 宝流「対等外交のエビデンスづくり」

私が拠る千田稔の説では、飛鳥宮の東の丘(現在酒船石のある丘)に巨大な「須弥山(しゅみせん)」を築くため、天理砂岩を運河(狂心の渠)で運びいれ、丘を石垣でかためたということになる。
ただこの場合、須弥山は仏教世界に登場する山なので、道観(道教の寺院)を建てた斉明天皇の頭のなかでは道教と仏教が混在しているかのようである。
これについて千田は以下のような回答を用意している。
その須弥山である。これは一体何を表現しているのか。従来は仏教的世界観の中心にある山とのみ解釈してきたが、むしろ道教的世界観にもとづいた聖なる山、崑崙山(こんろんざん)を表していると考えられないであろうか。
道教教典の『雲笈七籤』(うんきゅうしちせん)の巻21によると「三界図に云ふ。其の天の中心、皆崑崙有り。又の名須弥山なり。其の山高濶にして四方を傍障す。日月山をめぐりて互ひに昼夜をなす」とあって、須弥山は崑崙山の別名と意識されていた。これはおそらく、仏教が西方から中国に伝わった時に、仏教的な楽土思想が伝統的な中国の神仙思想と習合したためと思われる。(『日本の道教遺跡を歩く』福永光司・千田稔・高橋徹 pp.19-20)
私もまさにそのとおりだと考える。
そしてさらに妄想を働かせるなら、この「崑崙山」は「蓬莱山(ほうらいさん)」に読み替えるべきではないだろうか。

千田の場合、飛鳥宮の東の丘は須弥山のミニチュア版レプリカなので、“本物の崑崙山”がどこにあるかは問題ではないかもしれない。
しかし、私の場合この丘はたしかにレプリカではあるが、それはその背後にある“本物の蓬莱山”のレプリカという解釈である。

実はそう解釈することによって、「中国の世界観を相対化しようとした」斉明天皇こと宝姫王の意図がはっきりと見えてくるからだ。

道教のベースである神仙思想においては、蓬莱山も崑崙山と同じく最も聖なる山とされる。
ただ、注意すべきは、崑崙山は黄河の源として中国の西方にあるとされることだ。一方、蓬莱山は(中国からみて)東の大海原にある山とされている。
もし将来唐から使節が来朝したときにこの丘を「崑崙山を象徴したものだ」と案内したら、どうなるだろうか。
「崑崙は中国の西にある山で、たとえレプリカにしろこんなところに造るのは無茶苦茶や」と、ちょうど600年の第1回遣隋使が隋皇帝にあしらわれたように一笑に付されるだけであろう。

であれば、「古来東の大海原にあるとされた蓬莱山は、実は倭国に、しかもここ飛鳥にあったのであり、この王宮の東の丘にある石垣の山はそれを象徴したものである」としたほうが、たとえ外交儀礼上のフィクションと割り切っていたとしても、少なくとも「無茶苦茶だ」と言われることはないはずだ。
秦の始皇帝時代(紀元前3世紀)、蓬莱など東方の三神山に不老長生の霊薬を求め旅立った徐福が日本列島にたどり着き、日本人の祖となったいう伝説が中国で流布されていたぐらいだから、倭国に蓬莱とみなす仙山があったとするストーリーはあながち荒唐無稽とはいえないだろう。

宝姫王の意図は明らかだ。
彼女は飛鳥の地に蓬莱山を中心とした神仙世界を現出させたかったのである。
そして、彼女にとって多武峰こそ蓬莱山だったわけだ。
歴代の中国王朝が理想郷とした仙境にもっとも近いという意味において、「唐が世界の中心なら、倭国も中心」とうそぶく宝姫王の姿が見えるようだ。
これが宝流の「対等外交のエビデンスづくり」だったのである。(「中国の世界観を相対化しようとした宝姫王」(大化改新の方程式(118))を参照)

さらに話はこれだけでは終わらない。

神仙思想では崑崙山には女仙を統率する「西王母(せいおうぼ)」がいて、蓬莱山には男仙を統率する「東王父(とうおうふ)」がいるとされる。
その東王父は「扶桑樹(ふそうじゅ)」の上にある宮殿で東方の神仙世界を治めると信じられていた。
扶桑樹とは字面から桑の木をイメージしがちだが、古代中国ではさまざまな木を連想していたようで、架空の木をイメージする場合、共通する点は巨木であったことだ。
それが、宝姫王にとって多武峰の頂上にあった大槻であっても不思議ではない。

そして、注目したいのは、扶桑樹は“そこから太陽が昇る樹”とされたことだ。
飛鳥宮からはちょうど多武峰(おそらくは冬野のあたり)の大樹から日が昇るのが見えたはずだ。(現地で確認したわけではないので間違っていたらご指摘ください)
すなわち、倭国は“日出(ひいずる)”方角にある国ではなく、まさしく“日出”国なのである。
将来倭国が「日本」と名乗る下地は、すでに宝姫王の治世に出来上がっていたのである。

あくまで私の仮説の類だが、宝姫王は皇極時代にこうした国のありかたの着想を得、孝徳時代にそれを明確な青写真にまで仕立てあげていた。
だからこそ彼女は「飛鳥の地」にこだわったのであり、そしてまた彼女の息子・大海人皇子も壬申の乱の後、その地に戻ったのである。

コメント

やめられません

あなたたちがお探しになってる「蓬莱山」って、もしかしてここのことかしら? オーッホッホッホ!

……みたいな感じだったんでしょうか。
さすがわれらがタカラちゃん、見事な誇大妄想っぷりです。
これだから彼女を追いかけるのはやめられません。

「冬野」から日が昇るかどうかは、ちょっと微妙なところですね。
地図で確認したところ、飛鳥からは真西に対して南に30度弱の角度がありました。
太陽の昇る角度が季節によってどれくらい変化するのか、地学の授業をさぼっていたのでまったくわからないのですが、30度くらいの振れ幅はあるのかな? だとしたら俄然有力な説ですね。

ちなみに冬野に神社があるのを発見しました。
明日香村発行「飛鳥の神社」によれば、「波多神社」という神社で、創建はいつごろかわかりませんが、別所北大明神とも呼ばれていたそうです。
「神社のあるところには何かある」というのが私の持論です。

Re: やめられません

梅前さま
毎度コメントありがとうございます。

>これだから彼女を追いかけるのはやめられません。

調べれば調べるほど、妄想を膨らませれば膨らませるほど、宝姫王はすごい人だったと実感します。

そんな女性を“発掘”したあなたもエライ!

>地図で確認したところ、飛鳥からは真西に対して南に30度弱の角度がありました。

これはたしかに難ありですね。
冬野ではなく、御破裂山山頂のほうがよいのかも・・・再考余地ありありです。
(というか、現地に行くべき。やっぱ早く引退しないと)

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