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大化改新の方程式(128) 円丘・両槻宮・吉野宮

昨年末私は宝流「対等外交のエビデンスづくり」大化改新の方程式(122))において、飛鳥宮の東の丘は「その背後にある“本物の蓬莱山”のレプリカ」という解釈をした。
多武峰が宝姫王にとって“本物の蓬莱山”であるということは引き続き主張したいが、飛鳥宮の東の丘についてはそのレプリカとあえて限定する必要はなかったと今は考えている。

結論からいえば、飛鳥宮の東の丘は冬至における皇帝祭祀での祭壇ととらえるべきだったのだ。

中国では冬至における皇帝祭祀は天を祀るもので、祭壇は円丘とされていた。
現存する円丘では明清代のもので北京市内にある世界遺産・天壇(てんだん)の圜丘壇(えんきゅうだん)が有名だが、それと同じものが唐の都・長安(大興城)にもあった。
遺跡調査によると大興城の南郊にあった円丘は隋代に遡り、4層からなり(北京の天壇は3層)、1層の高さが2m前後、下から1層目は直系54m、2層目は40m、3層目29m、4層目20mという形状だったらしい。

斉明天皇が帰朝者たちの情報をもとにこの円丘を模して造らせた祭壇が、日本書紀にいう「宮の東の山に、石を塁(かさ)ねて垣とした」構造物ではなかったか。
そして、この丘で冬至の日に両槻宮のある冬野から昇る太陽を祀ったのである。
迫っている山並みを考えると、太陽が顔を出すのは地図上の冬至の方角より若干南であったと推測する。
(現在の酒船石遺跡あたりに高台をつくってそこから冬野の山頂に冬至の太陽の日の出を拝めるかどうかがポイント。現地にいけばわかることだが、貧乏サラリーマン暇なしゆえにとりあえず机上の仮説としてご容赦のほど)

もちろん本家中国の皇帝祭祀において、太陽が昇る地点に両槻宮のような道観を造営したという事実はない。
その部分は宝姫王が演出した日出る国・倭国ならではのアレンジといえよう。

さらに斉明天皇はこの年(斉明2年)、吉野に宮を造営している。
これについては、通説が述べるとおり、稲淵から南に広がる山地を「神仙世界」とみたてて、神・仙人たちが住まう場所としたという理解でよいだろう。
吉野は古くから水銀鉱脈で知られていた。水銀は言うまでもなく、不老不死の薬とされる「仙丹(せんたん)」の原料であった。
いわば吉野宮は大王家のみに与えられたパワースポットなのだ。
そして、その仙力は飛鳥川など大和川支流群を通じて大和の民草を潤すのである。
(吉野宮がその川岸にあった吉野川の水自体は大和平野に流れ込んではいないが....)

円丘(飛鳥宮の東の丘)・両槻宮(冬野)・吉野宮(宮滝)という3点セットの造営が、斉明期初頭の“興事”の要であった。
と同時に、斉明天皇にとって、その造営は神仙境の仙水が注がれる大和平野全体の大改造の始まりにすぎなかったと私は考えている。(これについては後日展開したい)

ところで、私はこの着想の萌芽が、皇極即位時からすでに宝姫王の頭のなかにあったとみる。
すなわち、皇極期におこなった“興事”の延長として、あるいは、その発展形として彼女が計画しやり残したものが、斉明期に実行されたわけだ。
寵臣が惨殺された忌まわしき地といえども、宝姫王は飛鳥へのこだわりを捨てることはできなかったのである。

コメント

亀形構造物

斉明が亀形構造物を使ってどのような祭祀を行ったのか、いくら考えてもわかりませんでしたが、れんしさんのおっしゃるように「皇帝祭祀」だったと考えるとしっくりきます。
亀形構造物の中心線が冬至の日の出の向きに振れていれば「ビンゴ」なんですが。
何とか調べてみたいですね。 冬野の山頂から冬至の日が昇るのを、「宮の東の山に、石を塁(かさ)ねて垣とした」場所、つまり亀形構造物の付近から見えるのか。

ところで「日の出」ですよね? 日の出って東から?ですよね。飛鳥から見て冬野から本当に日が昇るんでしょうか。 スミマセン、根本的なところで。そういう天文学?地学?にはめっぽう弱いもんで。

Re: 亀形構造物

梅前様

毎度コメントありがとうございます。

> 斉明が亀形構造物を使ってどのような祭祀を行ったのか
> れんしさんのおっしゃるように「皇帝祭祀」だったと考えるとしっくりきます。

正直なところ、実際どういう使い方をしたのかについてはよくわかりません。
中国の「皇帝祭祀」には水を使う儀式はなかったと思いますので参考にはならないかと。
そこはやはり宝姫王独自の演出が行われていたのだと思います。

> ところで「日の出」ですよね? 日の出って東から?ですよね。飛鳥から見て冬野から本当に日が昇るんでしょうか。

以前紹介しましたが、「<a href="http://hinode.pics/" target="_blank" title="日の出日の入時刻方角マップ">日の出日の入時刻方角マップ</a>」というサイトが便利です。(無許可リンクです。すみません)
全国どこの地点の日の出日の入の方向でもGoogleMap上に表示することができます。
そしてMapの右のカレンダーの下に「夏至・冬至を表示する」というボタンがあるのでそれをクリックすると、黄色い線でそれらの方向が示されます。

いま起点をMap上の「酒船石」にもってきて、上記の操作をすると、「冬野」のちょっと北辺りを冬至の線が通ります。
山があることを考えると、太陽が顔を出すのはちょうど冬野の方向だと推測したわけです。

ただ、間に小高くなった場所(岡寺のあたり)があるので、起点となる円丘は中国で見られるよりは高層のものを造ったのではないかと思っています。
そうだとすれば、なおさら「つくるはしから自然と壊れた」という日本書紀の記述にも符合するかと勝手に思ったりしています。
(中国の天壇の円丘の高さ(10mぐらい)レベルであれば、古墳をつくる技術で十分対応できたはずですから)

なお、この「日の出日の入時刻方角マップ」は次回も活躍します。

補足訂正: Re: 亀形構造物

さきほどのコメント返信にて、日の出日の入時刻方角マップ」へのリンクを設定したつもりでしたが、コメント欄ではリンクタグを読み込んでくれないようですね。

リンク先は以下ですので、これをブラウザにコピペしてみてください。
http://hinode.pics/

すみませんでした。

酒船石遺跡

日の出日の入りマップ、ご紹介ありがとうございました。
以前記事にされていた時に登録していたのですが、
最初からそれで調べればよかったんですよね。
お手数おかけしてしまいました。申し訳ありません。

「つくるはしから自然と壊れた」のは、
1992年に酒船石のある丘陵で発見された石垣と推測されます。
使用されているのは天理市豊田山から算出された砂岩で、
石上山から運んだという日本書紀の記述にも一致します。
酒船石丘陵全体が祭祀のための円丘だったのか
それともそれを拝みつつ亀形石造物を使い祭祀を行ったのか
まことに興味はつきません。

亀形石造物については、中心線が南北ぴったりなのかどうか
ちょっと資料が見当たりません。
現地に行けば一発なんですが・・・。
もどかしい限りですね。

どなたか現地探査可能な方、調査お願いします。

Re: 酒船石遺跡

梅前さま
さらなるコメントありがとうございます。

「中心線が南北ぴったりなのかどうか」はたしかにわかりませんが、南北(亀の頭が南)というのはまちがいないです。

何回か引用した『日本の道教遺跡を歩く』ではこの亀は「顔を南に向けて」(p.17)とあります。
より詳しくは、『古代国家形成の舞台・飛鳥宮』という本に以下のようにありました。(p.33)
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酒船石北側の丘陵裾では、谷奥部を石敷きで覆い、その中央に亀形石槽・船形石槽と取水塔を南北に配置した遺構が見つかっている。ここでは何らかの祭祀がおこなわれたとみられている。
南端にある取水塔で湧きだした水が船形石槽に流れ、側面の穿孔部から流れでて亀形石槽の口部分に注がれ、甲羅部分の水溜を経由して尻尾部分から排出され、北側の石組み溝に導かれる構造である。出土する土器から7世紀中ごろにつくられ、10世紀はじめまで機能していたと考えれる。
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