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大化改新の方程式(129) 「天」を祀り「天」として祀られる大王

前回述べたように、斉明期初頭の“興事”が皇極期でのそれの延長、あるいは、発展形とするなら、皇極期の“興事”とは何だったのか。
そのヒントとなるのは、やはり蘇我父子の悪行の象徴といえる甘樫丘の“邸宅”であろう。

いま日本書紀が皇極3年(644年)に彼らが造営したと記しているものを、細かい描写を無視して、建設地だけを抜き出してみると、畝傍山の東、甘樫丘、そして大丹穗山(おおにほやま)、となる。
この3つの地点から、前回指摘した円丘(飛鳥宮の東の丘)・両槻宮(冬野)・吉野宮(宮滝)という3点セットを連想するのは私だけであろうか。

まず、畝傍山と甘樫丘の位置関係。言うまでもなく、甘樫丘は畝傍山から見て冬至の日の日の出の方向にある。

そして、大丹穗山。比定地は明日香村入谷(にゅうだに)で、「入谷」の名は不老不死の薬をつくる錬丹術(れんたんじゅつ)で水銀をとりだす素材となる赤土・丹生(にう)からきていると思われる。
なによりこの地は聖なる川・飛鳥川の上流の1つ、稲淵川(南淵川)の源流のある場所だ。
稲淵といえば、皇極天皇が642年に雨乞いを成功させ「至上の徳をもった天皇」と称えられた思い出の地であり、入谷からは4kmほど下ったあたりだ。

さらに、それらの造営は11月に向けて行われている。この年は19年に一度の朔旦冬至ではないが、冬至に合わせて祭祀を挙行すべく準備をすすめたのではないだろうか。
蘇我一族とその配下の東漢氏を総動員し、前年上宮王家を滅ぼし手に入れた壬生部の東国民を使役しつつ、急ピッチで工事がすすめられたのである。
日本書紀皇極3年11月条の記述は、このときの土木工事の模様が後世「入鹿誅滅物語」が形成される過程で脚色されたものであろう。

ではなぜ、畝傍山なのか。
たしかに、日本書紀には「蘇我大臣の畝傍の家」という記述(皇極元年4月)があるので、治安上の理由から強固な邸宅に改築したと考えても不自然さはない。あるいはまた、河内方面から横大路を東進してくる外敵をたたくという防衛上の理由もなっとくがいく。

しかしながら、私のトンデモ説では、宝姫王が飛鳥にこだわった理由が大化改新の謎を解くヒントとなる大化改新の方程式(125))で述べた3つの命題:
・飛鳥を要塞化するほど当時は海外情勢が緊迫していたわけではない。
・皇極女帝と蘇我入鹿との間は良好で、蘇我氏が大王を威圧するための施設をつくるとは思えない。
・来倭する百済使節に誇示するための山城にしてはチンケすぎる。
を前提にしている以上、甘樫丘の建造物と同じくこの畝傍の施設についても、城塞でも邸宅でもないものとして考えねばならない。

ここで想起すべきは、皇極期の宝姫王がもっとも関心をもったことは何なのか、ということだ。
いま、中国式皇帝祭祀の導入(皇極元年11月の新嘗祭)、八佾の舞(皇極元年)、亡き舒明天皇の八角形墳への改葬(皇極2年)と書き出してみれば、彼女の関心事とは「新たな皇統の始まりを演出する」ことであったと言えよう。
そして、その集大成というべきものが、畝傍山・甘樫丘・大丹穗山という3地点での舞台設定だったのである。

この舞台での演目が、飛鳥の聖地化と私は考えている。

もともと飛鳥は「真神原(まかみのはら)」と呼ばれていたが、宝姫王はそれでは満足しなかった。
彼女が宮をおく飛鳥の地こそ、大王家にとっての「神」がおわす地、大王家が祀るべき「天」につながる地であるべきなのだ。

畝傍は、初代天皇にして皇統の祖・神武天皇が宮を定め、また葬られた地だ。そこに、皇極天皇は天を祀る祭壇を造らせたのではないか。
一方、甘樫丘にはランドマークとなる施設を建てさせたのであろう。それが斉明期における両槻宮のような道観であったかどうかはわからない。
宝姫王が欲したのは、それまでの皇統を代表して神武天皇が畝傍から甘樫丘の上のランドマークから昇る太陽を祀っているという構図だ。
そして、その丘の向こう側に広がる飛鳥が、宝姫王が大王として宮をおく聖地というわけだ。

「天」を祀る大王にして「天」として祀られる大王という新しい皇統の誕生、それこそが宝演出による舞台のメインテーマだったのである。

コメント

れんしマジック

 なぁんだか、ここんとこれんしマジックにうまいことしてやられてる感じがするんですが・・・、
 大丹穂山に着目したのはすごいですね。今まで完全にスルーしてました。それがどうやって「冬野」あるいは「吉野宮」につながるのか、明らかにしてほしいです。
 あと、「孝徳が山崎に宮を造った理由」ってのも、早く聞かせて~な、れんしさん。

Re: れんしマジック

梅前様

いつもありがとうございます。

「うまいこと」してやってるかどうかわかりませんが、ドンデモ説は思い立ったが吉日なので、細かいところはいずれ引退してから始める「新・大化改新の方程式」で詰めるとして、とりあえず展開してみたまでです。
いろいろといじってやってくださいませ。

>  大丹穂山に着目したのはすごいですね。今まで完全にスルーしてました。それがどうやって「冬野」あるいは「吉野宮」につながるのか、明らかにしてほしいです。
>  あと、「孝徳が山崎に宮を造った理由」ってのも、早く聞かせて~な、れんしさん。

うむむ、あまり期待どおりとはいかないかと思いますが、この2~3回でまとめますので、よろしくお願いいたします。


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