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大化改新の方程式(136) お詫び:小墾田兵庫は小治田宮にあらず

前回の記事では、相原嘉之氏の『倭京の守り-古代都市 飛鳥の防衛システム構想-』をとりあげ、兵庫として利用されていた小墾田宮が相原氏の言う「一種の羅城的施設」である掘立柱塀の外側に位置することをもって、この塀の敷設目的を羅城のような物理的な防衛として捉えることに疑問を呈し、「飛鳥という聖域と域外とを分かつ結界だったのではないか」という自説を展開してみた。
もちろん、それは私の主張である「宝姫王による飛鳥聖地化構想」を補強するためである。

しかしながら、これは完全な間違いであったことをお詫びしたい。

先日梅前様から相原氏のレポートが多数「両槻会」サイトに掲載されていることを教えていただいたので、久々にブログを更新した後、氏による寄稿集「飛鳥・藤原の考古学」のなかの「推古朝のふたつの王宮」というレポート(無断リンクにて失礼します)に目を通していたところ、恥ずかしながら基本的な間違いに気づいた。

それは、私が、壬申の乱で登場する「小墾田兵庫」は小墾田宮のことだと勝手に解釈し、かつ、その小墾田宮の場所を「小治田宮」と墨書された土器が出土した雷丘東方遺跡と思い込んでいた。そして、雷丘東方は地図で見れば、掘立柱塀で想定される「防衛ライン」北限より北にあるので、実践的な防衛に大事なはずの兵庫がラインの外に位置してしまっていると決めつけたことだ。

実際には、「小墾田兵庫」イコール小墾田宮ではなく、現在この兵庫は石神遺跡内に比定されている。
そして、くだんの掘立柱塀の「防衛ライン」は石神遺跡を通っている。
つまり、「小墾田兵庫」は相原氏の言う「防衛ライン」の要素とみて全く問題がないということだ。

ちなみに、相原氏によれば、雷丘東方遺跡の「小治田宮」は奈良時代のものであって、飛鳥時代の「小墾田宮」は少し離れた場所、すなわち古山田道をはさんで飛鳥寺の向かい側にあったとされる。

またもや両槻会様の“おかげ”で自らの間違いに気づかされ恥かしいかぎりだが、トンデモ説どころか、ただの出鱈目なストーリーを展開する前にストップできたことを幸いとすべきであろう。

宝姫王が飛鳥にこだわった理由に、あまりにこだわりすぎたようだ。
「飛鳥聖地化」という捉え方は的外れな議論だとは思わないが、生半可な考古学の知識で自説を糊塗したところで、トンデモ度合いを深めるだけであろう。
この議論はいったんここで留め、先にすすもうと思う。

コメント

試行錯誤

 試行錯誤、大いに結構と私は思っている。さまざまな仮設を立て、それが証明されれば進む、証明されなければ来た道を引き返す。実際に見ることのできない遠い過去の姿を浮き彫りにするためには、それを繰り返すしか道はないからだ。
 だが、少々の困難に遭ったからといって、持説をあっけなく手放す必要はない。唐に対抗するためのエビデンス作りとしての「飛鳥聖地化」、貴殿の言うところの「飛鳥の高天原化」は十分考えられることだし、それをもとにした国号の変更が斉明5年の遣唐使によって唐に報告されたというのは示唆に富む説であると私は思っている。また、蘇我がそれに協力する体制をとっており、女帝の代行として行った数々の儀式を、のちに「蘇我の専横」と記述されたという説にも心惹かれるものがある。
 相原氏の論じる「飛鳥要塞化」と、「飛鳥聖地化」が相反するものだとは私は思わない。神聖な地であればあるほど、そこを死守する必要性があるからだ。
 もちろん、貴殿は持説を捨て去るつもりなど毛頭なく、私の懸念など憂惧に過ぎないのかもしれない。だとすれば幸いである。日の出の可視や宮の位置など、ミクロ的な問題があるからといって包括的な命題の変更まで行うことはない。私としては、皇極・斉明における「飛鳥聖地化」を踏まえ、「孝徳がなぜ山崎に宮を造ろうとしたのか」(125)の問題に踏み入ってくれることを望む。

Re: 試行錯誤

大黒丸様

このたびの叱咤激励、心にしみました。ありがとうございます。

思えば、新書レベルの知識の思考実験でどこまでこの時代のことを自分の言葉で語ることができるかというのがこのブログを始めたきっかけです。
そうであれば、まさにおっしゃるとおり、「さまざまな仮設を立て、それが証明されれば進む、証明されなければ来た道を引き返す」こそが大事ですね。

「日本書紀は後世を欺く暗号文でもなく、まったくのでっちあげでもない」というのが私の古代史に向かう姿勢です。同じような気持ちで古代史に興味をもつ方が、私の説の一部分でもいいので、「たしかにそう読めるよね」と思っていただければ本望だと思っています。
その意味では、いつも厳しい指摘をされる大黒丸様から「十分考えられる」「示唆に富む」「心惹かれる」といったコメントをいただき、ほんとうにうれしく読ませていただきました。
あらためてお礼申し上げます。

>「孝徳がなぜ山崎に宮を造ろうとしたのか」の問題

まもなく6月だというのに、正月にかかげた課題のまだ半分しか終えていないのですよね。お待たせしました。次回には第2ステージと参りますので、引き続きご贔屓のほどよろしくお願いいたします。

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