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大化改新の方程式(139) 「山碕宮」造営と鎌足

前回の記事に対して、「いきなり代替地を、それも遣唐使が出発してから「こっちは?」と言い出すのは、ちょっと無理っぽい」というコメントをいただいた。

たしかに、宝姫王が描いているような規模と機能を有する祭祀都市を別の地につくるとすればそのとおりなのだが、皇帝祭祀を行うことを目的とした宮であれば、往復1年以上はかかる遣唐使が答礼使を連れて戻るまでには体裁だけでも整えることができよう。
しかも、孝徳天皇にすれば、難波宮での儀礼イベントと荘厳なる寺院群を巡る飛鳥ツアーで十分と考えていたわけで、山崎の新宮に唐使が訪れることは念頭になかったはずだ。ましてや唐使の面前で皇帝祭祀を行うことはありえない設定だ。

ところで、皇帝祭祀を行う宮を造営するということは、実は重要な意味が含まれている。
本場中国での皇帝祭祀は長い歴史を経て、新や後漢の時代から「天子がいる都の南郊にて行う」ことが恒例となっていた。
したがって、孝徳天皇が「皇帝祭祀を行うために山崎に宮を造営する」意向を示したとすれば、その地をいずれ主都とすると宣言したことに等しいわけだ。

では、なぜ山崎(京都府乙訓郡大山崎)なのか?

われわれは、この130年後にこの地(山背国乙訓)に都を定め、その南郊(交野)で冬至の皇帝祭祀を実際に挙行した天皇を知っている---平城京から長岡京への遷都を敢行した桓武天皇だ。
長岡京遷都(784年)の翌年の延暦4年と6年に交野の地で「天神を祀った」ことが続日本紀に記されている。「延暦12年11月10日の交野行幸も、その日が冬至にあたっており、おそらくそのおりも郊祀がなされたと考えられる」(『渡来の古代史』上田正昭 p125)。

桓武天皇が新都を長岡の地に定めた理由の1つに、生母・高野新笠の出身地が山背国乙訓郡大枝であったことがあげられる。
加えて、遷都を推進した側近である藤原種継の地盤(母方の実家・秦氏の勢力圏)でもあった。

孝徳天皇についてはどうであろうか。
乙巳の変以前に彼がひきこもっていたという宮が和泉国和泉郡軽部郷にあったと推測され、その宮を「まさに包みこむようにして、摂津の三嶋にあった鎌足が統括する中臣氏同族が存在・割拠していた」という(『大化改新』遠山美都男 p.127)。
そして、その鎌足の三嶋が山崎や交野に隣接している点に注目したい。

私は、鎌足は最期まで孝徳に付き従ったと考えている(詳しくは軽皇子の忠実なる僕(しもべ):中臣鎌足『偽りの大化改新』を読む(24)))。
日本書紀には孝徳天皇置き去り事件の翌年正月に鎌足が紫冠を授けられ、封戸を加増されている記事がある。
これは明らかに編纂時に加筆されたものであるが、あえてここに挿入されているのは実際になんらかの恩賞が与えられた事実があったのであり、それはまさしく鎌足が孝徳天皇のもとに留まったことの証であろう。
いやむしろ、留まった以上の働きをしたとみるべきで、それが「山碕宮」造営に関わるものだったのではないだろうか。

とはいえ、自らの地盤に大王を引き入れる意図はあまりにみえみえで、多くの群臣たちの反感を買い、飛鳥への還都を求める中大兄一派の勢いを増す結果となったであろうことは容易に想像がつく。

しかしながら、鎌足は単に宝姫王と孝徳との姉弟喧嘩に乗じたわけではないだろう。
やはり山崎の地には、飛鳥に負けず劣らず皇帝祭祀を行うにふさわしいものがあったにちがいない。

それが交野である。

コメント

アタマ悪い子によるまとめ

えーと。

つまり、要約すると

・孝徳は、山崎の地に唐の答礼使を呼ぶつもりはなかった。
・答礼使に対しては難波での儀礼と飛鳥見学ツアーで充分と考えていた。
・山崎は鎌足の地盤に隣接。
・ゆくゆくは山崎の北に都を造営するつもりだった。

てなとこですか? (間違いがあったらご指摘ください)

んじゃ、山崎は飛鳥の「代替地」ではなかった、ってことですかね?
「山崎の北」に都を移すための端緒であって、遣唐使とは関係ない?
だったらなんであの時点でもめたんでしょ?

スミマセン、お熱があってアタマのめぐりが悪くって。

Re: アタマ悪い子によるまとめ

梅前さま

コメントありがとうございます。

どうもわかりにくくてすみません。
決して、熱のせいでも、ましてや、読者の理解力のせいでもございません。

「このままいくと正真正銘のトンデモだなぁ」なんて思いながら書いているので、
早く切り抜けようとするあまり、ご指摘の通り説得力のない展開になってしまいました。

このとき、姉弟が争ったポイントとしては・・・

●孝徳の言い分
・いまさら飛鳥で民を使役する“興事”に関わるつもりはない(皇極のときに入鹿にやらせた事業は評判悪かったでしょ)
・だから、答礼使を飛鳥まで誘うのはかまわないが、いまの飛鳥のままでよい(道ぐらいは清めてあげよう)
・だいたい姉上が考えているプランを実現するには、何万という民の力が必要となる(それで私の評判を落とすのは勘弁)

●宝姫王の執念
・答礼使は飛鳥に来るべき(だって主都なんですから)
・皇極のときにやり残した“興事”を再開し、答礼使が来るまで、できるだけプランを実現しておきたい(最近つきあいが復活した百済や高句麗の協力もとりつけてあるし)
・難波宮も完成したのだから、あとは私の好きにさせて(だいたいあんたが忠臣入鹿を殺したから、あの事業が頓挫したんだから)

そして、ここに鎌足が発案した代替案としては・・・・

●鎌足の思惑
・宝姫王がやりたいプランのコアは中国皇帝がやるような祭祀だから、飛鳥でない場所を対抗策として提示すればよい(宝姫王が考えていることを強行するよりは、民の使役度も許容範囲だ)
・実は飛鳥に負けず劣らずの土地が山﨑にあるんです(これでうまくわが地盤に王宮を移すことができるぞ)

というかんじですが、いかがでしょうか。


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