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大化改新の方程式(143) 日本史上最強の姉弟

長らく更新が途絶えて申し訳ありません。
実は半月前、4月に購入したばかりのノートパソコンが突然ブラックアウトし、自宅での作業がまったくできなくなってしまったのです。
液晶パーツの破損が原因で、時間がかかるのを覚悟で修理に出しました(保証期間内なので無償)。
加えて、仕事が多忙を極めたため、仕事の合間にブログに手をいれることもできぬまま日々が過ぎてしまいました。
そうこうするうち前回のブログの更新からまもなく1か月が経過し、このままだとブログ上に広告が表示されてしまうので、そろそろ「PC故障につきしばらくお休みします」という更新記事をいれ、広告逃れをしようと考えていた昨日、思ったよりも早くPCが戻ってきました。
というわけで今回は、更新の事実を残すためだけに記事を書いています。これまで述べてきたことの繰り返しにすぎない記事となっております。ご容赦のほど。


以前から述べているように私は、皇極・斉明こと宝姫王は、古代史上最強の女性だと思っている。
いや、女性が名実ともに権力の頂点にたった時代が古代に限られている事実からすれば、日本史上最強というべきであろう。
彼女の前では、卑弥呼も推古も、さらに持統すらもかすんでしまう。

しかしながら、われわれのイメージのなかの彼女の姿はそんな人物像からほど遠いものだ。
皇極紀では蘇我氏の横暴のかげに追いやられ、斉明紀では全権を掌握した皇太子・中大兄の活躍のかげに隠れてしまっている。

もちろんわれわれはその理由を知っている。
高邁な理想をかかげ乙巳の変の功臣として活躍した中臣鎌足を顕彰するために、蘇我入鹿を王位簒奪を狙う不忠の臣として貶めた日本書紀の編集方針がそこにあるからだと。

ただ、宝姫王の存在の希薄さは日本書紀の編集方針のせいだけではないだろう。
誤解を承知でいえば、われわれは日本書紀の編者が意図した以上の“読み込み”をしてしまっているのではないか。

中臣鎌足が乙巳の変以降ずっと中大兄皇子との2人3脚で中央集権国家建設を目指す政権中枢を担ってきたというのは、藤原仲麻呂の手による藤氏家伝はともかく、日本書紀にはどこにも書いていない。
乙巳の変の真相が見えにくくなったいるのはたしかに日本書紀の術策に嵌ったといえようが、乙巳の変直後の大化政権発足時から“自由な立場で”政策に関与する皇太子・中大兄とその忠臣・鎌足のコンビの活躍は、われわれの先入観が生み出したストーリーにすぎないのではないか。

そして、古代にはもう1人、われわれの先入観ゆえに、その存在が希薄になってしまった人物がいる---- そう、ほかならぬ宝姫王の実弟・軽皇子、後の孝徳天皇だ。
日本書紀が相当な分量を用意した孝徳紀での偉業がそっくりそのまま中大兄・鎌足コンビの事績とされてしまっている。

そこまでの“読み込み”は日本書紀の編者が本来望んだことではないとしたら、日本書紀を先入観ぬきで読み直すことで、乙巳の変から白村江までの真の主人公を描き出すことは可能だろう。
そこには、宝姫王・軽皇子という日本史上最強の姉弟の姿がみえてくるはずだ。


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