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大化改新の方程式(164) 党項城

前回作成した年表をもとに私見を1つ述べておきたい。
それは、643年の百済が高句麗と連携して新羅の党項城を攻撃した記事についてだ。

「党項(タンハン)城」といえば、韓流史劇のファンならば、隋や唐との通交の玄関口として幾度となく登場するのを思い出すだろう。
6世紀半ば、漢城(ソウル)の南西、黄海に面したこの地を奪ったのが真興王(チヌン大帝)で、これによって新羅ははじめて中国王朝への朝貢が安定して遂行できるようになった。

実は、中国王朝によって新羅が冊封されるのは、この「入朝する道」を確立してからのことだ。つまり、それまで新羅は国際的には「国」として認められていなかったわけである。
一方、5世紀の「倭の五王」の時代、倭国はすでに中国王朝に朝貢を行い、たとえば「倭王・武」と比定される雄略天皇は「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」と冊封されている。
新羅は対外的には倭国の支配下にある“一地域”にすぎなかったのだ。

それだけに、新羅にとって中国へ「入朝する道」の起点たる党項城は、なんとしても死守すべき要衝であったといえよう。

さて、その党項城だが、前回の年表に記したように、この攻撃を643年11月とするのは『三国史記』百済本紀で、新羅本紀および『旧唐書』では642年8月のこととしている。
また、高句麗本紀では党項城という地名をあげていないが、643年9月の記事のなかで「新羅から唐への入朝の路を絶つ」として党項城攻めに触れている。

わかりにくいので、まとめると以下のようになる。

■新羅本紀および『旧唐書』
---642年8月---
百済は高句麗と通謀して党項城を攻め落とし、唐への朝貢の道を絶とうとした。
(ちなみに、この記事の前後に、百済・義慈王の新羅親征開始と大耶城落城の記事がある)
■高句麗本紀
---643年9月---
新羅は使者を唐に派遣し、「百済が40余城を攻め取り、さらに高句麗と連合して入朝の路を絶とうと謀っている」として援軍を要請した。
■百済本紀
---643年11月---
百済は高句麗と和親を謀り、新羅の党項城を奪い取り入朝する道を塞ごうとしたが、新羅が唐に救援を要請したとの情報を得て撤退した。

新書レベルの解説本の多くは、新羅本紀に拠って642年説をとっているようだ。

だが私は、麗済同盟による党項城攻撃は642年ではなく、高句麗本紀や百済本紀にあるように643年の出来事で、あえて月を特定するなら高句麗本紀のいう9月のことだと考えている。

記録に食い違いがあるのは、642年と643年の両年に実施された百済による新羅侵攻が、唐への報告の過程で642年の出来事としてまとめられて記録されていたからであろう。

ここで、私が党項城攻撃を642年ではなく、643年とする根拠は以下のようになる。

第一に、642年冬に金春秋が高句麗に援軍を求めに派遣されているが、もし新羅本紀がいうように百済と高句麗の連携による党項城攻めがその年の8月だったとしたら、彼は敵に援軍を求めに行ったようなものだ。いくら彼が交渉術に長けていたとしても、またいかに愛娘を惨殺された無念さが極まっていたとしても、そこまで無謀な行動はしないであろう。彼の高句麗行きは、麗済同盟の成立前、あるいはそれが公になる前であったはずだ。

第二に、643年9月に新羅・善徳女王は唐・太宗に援助を願っているが、新羅本紀によれば、その奏上おいて「高句麗と百済の連携による総攻撃が9月に始まる」と述べている。つまり、善徳女王が高句麗・百済による党項城攻撃の情報を事前に察知し、すぐさま唐への援軍要請に動いた、というのが真相に近いだろう。

第三に、百済本紀での643年11月条の記事については、新羅が唐に救援を要請したとの情報を得て撤退したのが11月として解釈すべきで、第二の根拠と合わせて読めば、党項城攻略のオペレーションは、9月から11月にかけて行われた、ということになろう。

なお、「高句麗と百済の攻撃によって党項城は落ちた」とさらりと記している解説本を多く見うけるが、さきに指摘したように、党項城はなんとしても死守すべき要衝であるから、そう簡単に落城させるわけにはいかない。実際には、百済本紀がいうように、643年11月までに攻略できず、両軍とも撤退したということではなかったか。

そして、新羅はその後も毎年朝貢をかかさず、唐との関係が密になっていくのをみると、党項城を起点とする「入朝する道」は健在であったと推察される。

では、この話が高向玄理(黒麻呂)とどう関係するのか?
実はここからが本題なのだが、それについては回をあらためて展開しよう。

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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