FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大化改新の方程式(168) 続・苦肉の策

今回もまた1か月放置の措置として広告表示に至る。年初より貧乏暇なし。
以前“苦肉の策”として挿入した年表を拡充してみた。安直すぎるかもしれないが、ここまで手をいれたら次は使えないだろう。

緑字が日本書紀に記された倭国での主要事件と外交関連記事、赤字は中国の記録にはあるが書紀には対応する記事のない出来事。
なお、皇極期の外交については日本書紀の記述が錯綜しているため、643年の高句麗使以外はあえていれていない。

---640年---
【10月】唐から高向玄理(黒麻呂)と南淵請安が32年ぶりに新羅ルートにて帰朝。百済・新羅の朝貢使も従う。百済宮に遷宮
---641年---
【3月】百済の義慈王即位。唐から「柱国・帯方郡王・百済王」に冊封
【8月】百済、唐に朝貢
【10月】倭国の舒明天皇が百済宮で崩御
---642年---
【正月】倭国の皇極天皇即位
【正月】高句麗、唐に朝貢
【正月】百済、唐に朝貢
【正月】新羅、唐に朝貢
【7月】百済の義慈王、新羅親征により旧伽耶地方の40余城下す
【8月】百済が新羅の大耶城を攻め、降伏した城主とその妻(金春秋の娘)を惨殺
【10月】高句麗の淵蓋蘇文がクーデターで栄留王および180人の貴族を殺害、宝蔵王擁立
【この冬】新羅の金春秋が高句麗へ救援要請、失敗し一時監禁
---643年---
【正月】高句麗、唐に朝貢
【正月】百済、唐に朝貢
【正月】新羅、唐に朝貢
【3月】唐の太宗、高句麗の要請で道士を派遣(道教受容は淵蓋蘇文のすすめ)
【6月】高句麗の使者来倭、金銀献上と政変の報告
【閏6月】高句麗の宝蔵王、唐から「上柱国・遼東郡王・高句麗王」に冊封
【9月】唐の太宗、新羅の善徳女王からの救援要請を受け、女王を廃し唐の皇族を王に迎えるよう提案
【9月】百済と高句麗が同盟(麗済同盟)し、新羅にとって対唐通交の要衡地・党項城を攻撃。11月新羅が唐に救援を要請したとの報に撤退
【11月】倭国の山背大兄皇子ら上宮王家が蘇我入鹿率いる朝廷軍によって滅亡
---644年---
【正月】高句麗、唐に朝貢
【正月】百済、唐に朝貢
【正月】新羅、唐に朝貢
【正月】高句麗の淵蓋蘇文、唐の太宗による新羅との和親勧告を拒絶
【正月】唐の太宗が百済と新羅両国を告諭。百済の義慈王、唐に陳謝
【7月】唐の太宗、高句麗出兵の準備を命じ、船400隻を建造
【9月】新羅、百済に侵攻し7城下す
【11月】唐の太宗、第一次高句麗遠征開始
【この年】百済の義慈王、王子の扶余隆を立太子
---645年---
【正月】新羅、唐に朝貢
【5月】百済、唐が新羅軍を徴発したのを機に、新羅へ侵攻し7城下す
【6月】倭国でクーデター(乙巳の変)、皇極天皇譲位、孝徳天皇即位。大化に改元
【7月】高句麗・百済・新羅が倭国へ遣使。百済使は任那使を兼ねる
【9月】唐の太宗、高句麗遠征軍の撤退を指示(高句麗親征の失敗)
【9月あるいは11月】倭国にて古人大兄皇子の変
【11月】新羅の善徳女王が毗曇を上大等(貴族の合議機関の首座=宰相)に任命
---646年---
【正月】倭国にて改新の詔
【2月】高句麗・百済・任那・新羅が倭国へ遣使
【5月】唐の太宗、高句麗から謝罪のため献上された美女2人を送り返す
【9月】倭国が高向玄理(黒麻呂)を新羅へ派遣。「任那の調」を廃止する代わりに「人質」を倭国に差し出す交渉をまとめる
---647年---
【正月】高句麗・新羅が倭国へ遣使
【正月】新羅の善徳女王、「女主不能善理(女性君主は国を治めることができない)」を唱える毗曇による反乱のさなかに崩御。金庾信らが真徳女王を擁立し、乱を平定
【2月】新羅の真徳女王、唐から「上柱国・楽浪郡王」に冊封
【7月】唐軍が高句麗北方に侵攻(高句麗への再征開始)
【10月】新羅が領内に侵攻した百済軍を撃退
【12月】高句麗、王族を唐へ遣わして謝罪
【この年】倭国から新羅へ派遣されていた高向玄理(黒麻呂)、「人質」として金春秋をともない帰国
---648年---
【正月】高句麗、唐に朝貢
【正月】百済、唐に朝貢
【正月】新羅、唐に朝貢
【正月】唐軍が海路より高句麗侵攻
【2月】倭国、三韓(高句麗・百済・新羅)へ学問僧派遣
【3月~4月】百済と新羅による新羅西辺での攻防
【4月】唐軍が海路より高句麗侵攻
【9月】唐軍が海路より高句麗侵攻
【閏12月あるいはこの年】新羅の金春秋とその息子(金文王)が使者として唐に朝貢。金春秋が唐の太宗に新羅の苦境を直訴。金文王は唐の太宗の宿衛として唐に留まる
【この年】新羅、倭国へ遣使
【この年】倭国、新羅の遣唐使に託して唐帝への上表文を届けさせた
---649年---
【正月】新羅が唐の衣冠を採用
【2月】新羅の金春秋、唐から帰国
【3月】倭国にて蘇我倉山田石川麻呂の変
【5月】倭国、新羅へ遣使
【7月】唐の太宗崩御。高宗即位。太宗の遺詔により高句麗遠征中止
【8月】新羅が領内に侵攻した百済の大軍を撃破
【この年】新羅、金多遂を「人質」として倭国へ派遣
---650年---
【2月】倭国、白雉に改元
【4月】新羅、倭国へ遣使
【6月】新羅、唐に朝貢し百済軍撃破の報告。唐を称える真徳女王の漢詩を織った錦を献上
【6月】高句麗の高僧が国の道教政策に抗議して国外移住
【この年】倭国が安芸にて2隻の百済船を建造
【この年】新羅が独自の年号を廃し、唐の年号を採用
---651年---
【2月】新羅の金仁問(金春秋の息子)が使者として唐に朝貢。唐の高宗の宿衛として唐に留まり、左領軍衛将軍を授けられる
【6月】百済・新羅が倭国へ遣使
【11月】百済、唐に朝貢。唐の高宗、百済に新羅との和親を命ず
【この年】倭国が唐服着用した新羅使を追い返す
【この年】新羅が律令格式を制定する理方府を設置
---652年---
【正月】高句麗、唐に朝貢
【正月】百済、唐に朝貢
【正月】新羅、唐に朝貢
【4月】新羅・百済、倭国へ遣使
【9月】倭国の新都・難波長柄豊崎宮完成
---653年---
【5月】倭国、第2次遣唐使を派遣(2隻・大使2名・送使2名)
【6月】百済・新羅、倭国へ遣使
【6月】倭国、各所の大道を修理
【6月】倭国の僧旻死去
【8月】百済、倭国と国交を結ぶ
【11月】新羅、唐に朝貢
【この年】倭国の皇太子の中大兄皇子ら母・宝姫王とともに飛鳥への遷都をはかる
---654年---
【2月】倭国、高向玄理(黒麻呂)を押使として第3次遣唐使を新羅道経由で派遣(2隻・大使1名)。黒麻呂唐で客死
【3月】新羅の真徳女王、崩御。金春秋が即位(武烈王)
【5月】新羅、理方府格60余条を制定
【閏5月】新羅の武烈王、「開府儀同三司・楽浪郡王・新羅王」に冊封
【7月】倭国の第2次遣唐使の吉士長丹らが百済・新羅の送使と共に筑紫に帰着。唐の皇帝と会見し、多くの文書・宝物を得たことを褒め、授位
【10月】倭国の孝徳天皇崩御
【12月】遣唐使が琥珀・碼碯(めのう)を献上。唐の高宗、倭国に詔勅をもって新羅への援助を要請
【この年】高句麗・百済・新羅が倭国へ弔使
---655年---
【正月】倭国の斉明天皇即位(重祚)
【正月】高句麗・百済・靺鞨(まつかつ)が新羅の北辺に侵入し33城下す。新羅、金仁問を唐に遣わし救援を求める(翌年帰国)
【2月】唐軍、高句麗領に侵入
【5月】唐軍、高句麗領に侵入
【7月】難波にて越の蝦夷・陸奥の蝦夷(それぞれ100人規模)とともに、百済の調使(150人)に饗応
【8月】倭国の第3次遣唐使の河辺臣麻呂らが帰朝(第2次遣唐使のような授位の記事なし)
【この年】高句麗・百済(100人規模)・新羅が倭国へ遣使
---656年---
【7月】新羅、王子・金文王を使者として朝貢
【8月】高句麗(80人規模)、倭国へ遣使
【9月】倭国から高句麗へ遣使
【12月】高句麗、唐へ遣使し皇太子冊立を祝賀
【この年】倭国にて後飛鳥岡本宮造営ほか、興事(両槻宮、吉野宮、岡本宮の東の山の石垣、「狂心の渠」)
---657年---
【この年】新羅、倭国の遣唐使随行依頼を拒否
---658年---
【6月】唐軍、高句麗領に侵入し敗退
【7月】新羅、前年拒否した倭国の遣唐使を新羅船にて送る
【11月】倭国にて有間皇子の変
---659年---
【4月】百済、新羅領内に侵入
【4月】新羅、唐へ援軍要請
【4月】唐朝廷内で高句麗遠征に消極的な長孫無忌が失脚
【7月】倭国、第4次遣唐使を派遣。蝦夷2人同行。閏10月高宗に謁見。11月の朔旦冬至の皇帝祭祀に参列するも12月から長安に監禁される
【11月】唐軍、高句麗領に侵入
---660年---
【正月】高句麗の乙相賀取文ら使節(100人規模)が筑紫に到着。5月難波、7月帰国
【3月】唐の高宗、百済攻撃を命ず。新羅王にも派兵を命ず。
【6月】唐の高宗、百済侵攻。新羅、唐軍を支援

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。